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分かりやすいという表現|万引き家族

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最近めっきり映画を観ていなくて、映画館というところにも本当に行けていない。

幸い『Netflix』だとか『Amazonプライムビデオ』とかがあるので、レンタルビデオ屋にわざわざ行かなくてもいいのだけど、その弊害として新しいもの(というより予想外のもの)に出会いにくくなってる感じはあります。

どうしても好きなものを観る傾向になりますし、その上で勝手にオススメしてこられるし・・・(良くも悪くも)。
20年前(あぁ、おそろしいな)には好きなものとは別に、あえて「自分では選ばないもの」をねじ込む余裕があったわけですが、今はコレかなってやつしか観れなくなってきている悲しさがありますね。

・・・えっと、話を戻すと、是枝監督作品『万引き家族』を今更ながらに観たわけです。

あるスタッフが「どう思いますかー?」と聞いてきたので、「いや、観てへんから知らん」と逃げてきたのですが、お盆の魔力で観る時間ができてしまった。レンタル時代だったら、今でも観てなかったかも・・・です。

以下、感想と雑記。

是枝作品が勘違いされやすい要因に、ドキュメンタリー扱いされやすいことだと思いますが、あくまでも実話を「下敷き」にした作品であるということを踏まえないといけないですね。

構造的には『誰も知らない』の裏返しになっていて、テーマは共通して「家族のあり方」ですかね。
表層的には分かりやすく、一人一人にフォーカスすると複雑。それらが混在し、並行的に進みます。基本的にセリフによる説明はないので、この手法に慣れてない人からすれば不親切ではあるのでしょうね。

観終わった直後、もちろんそのスタッフとLINEでやりとりしましたが、スタッフも「いいとは思うし、ああいう家族も素敵だなーと思うんですけど、めっちゃいい!とは思えなくてー」みたいな言い方で、「完結してないからこそ、めっちゃよかったとまでは思えなかった」と。

けれど、それこそ本当にその通りで、「わからない部分や混沌部分をそのまま受け入れていい」ってことだと思いました。

そういうところが、自分を含めてどんどん苦手になってきている気はしていて、ある程度の「答えめいたもの」を求める傾向というか。分かりやすく説明してほしいという「甘え」というかがあるように思えます。

この、「分かりやすくてよかった」という評価には、常に危険を感じているんですよね。

『誰も知らない』も『万引き家族』も実際に起きた事件をベースにしているのですけど、本当もわからないことだらけなんですよ。

ここで、デザインの話に無理に戻しますけども。

今まで「どんなデザインが好きですか?」という質問をあらゆる人にしてきたのですけど、「シンプルでわかりやすいデザインです」と(それこそ簡単に)言ってしまう人が大半でした(ここで自分の反省点として「どんなデザインが優れていると思うか?」とは聞かなかった点というのもあるのですが、それはひとまず置いておいて・・・)。

「シンプルでわかりやすい」って何なんだと思うわけです。単純化したカタチにすればシンプルなのでしょうか?
逆に「ありのままの姿」というものがありますが、これはシンプルでしょうか?わかりやすいのでしょうか?

『万引き家族』で描かれる人たちは分かりやすくは描かれてはいませんが、それですら脚色されてるわけですね。
報道された実際の人物でもカメラのフレームやニュース原稿の文字数という制限の中でトリミングされてしまう。
それでなくても、自分という主観的なカメラしかもたない一個人が、客観的に何かを見ることというのは、非常に困難です。

その中で「シンプルでわかりやすいデザイン」というものが、どれほどの複雑性を内包しているのかは、想像に難くないはずです。
デザインというものが、一個人によるアート作品ではなく、複数人の目や感覚をもって作り上げなくてはならないというのが、なんとなくでもわかっていただければと思いますし、それだけの複雑性の中で選択を繰り返していると感じてもらえれば、幸いです。

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